筑紫鴻臚館

 古代の迎賓館「鴻臚館」。白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた日本は、防衛線として山城・水城を築く一方、博多には立派な接待所「鴻臚館:こうろかん」も建造していた。当時の緊張した国際情勢を偲ばせるその施設の存在を、前回大宰府を訪れた時知ったので、今回真っ先に尋ねてみました。
鴻臚館跡展示館 : 右手の塀が外野フェンス
鴻臚館跡展示館 : 右手の塀が外野フェンス
 天神で地下鉄を降りるとまるで縁日のような人出で、周辺道路も大渋滞。それもそのはず、「博多祇園山笠」の最中だったのです。では歩いて行こうと道を尋ねると、「アー、平和台ね」という返事。「エッ、平和台球場 ?」。野球好きな方なら良くご存じの平和台球場。鴻臚館跡はその外野席の改修工事中に発見されたんでそうです。
展示館の中の、鴻臚館跡
展示館の中の、鴻臚館跡
西暦
鴻臚館関係の出来事
663
白村江の戦い
672
壬申の乱
688
筑紫館文献に初見
710
平城遷都
752
東大寺大仏開眼
753
鑑真和上大宰府に
794
平安遷都
838
鴻臚館の初見

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