ひめゆり

 戦場動員された女学生たちの仕事は、負傷兵の看護や死体処理、壕掘り、水汲み、食料・医薬品の運搬等など。軍に命じられるまま働き続けた彼女たちに、最後に与えられたのは戦場での”解散命令”。それが何故”死”を意味するのか、たやすくは飲み込めませんでした。単純に「投降すれば助かるはず」と思ったのです。

 でも、当時の教育では降伏は許されず死が義務づけられていたこと、しかも解散後は、シェルターでもあった壕に留まることをも拒まれ、戦場に放り出されたことなどを知りました。他の可能性を否定された彼女たちの選ぶ道は、自決しかなかったのですね。教育とは恐ろしいものです。

ひめゆり平和祈念資料館入場券
ひめゆり平和祈念資料館入場券
ひめゆりの由来 : 沖縄県立第一高女の交友会誌「乙姫」、と女子師範学校の「白百合」。両校の合併により交友会誌も一つとなり、それぞれの名前の一部を合わせて「姫百合」となりました。ひらがなで”ひめゆり”を使うようになったのは戦後のことです。

『私達は、真実から目を覆われ、人間らしい判断や思考も、生きる権利さえももぎ取られ、死の戦場に駆り立てられた、あの時代の教育の恐ろしさを、決して忘れません』

 先日のNHKニュースの中で、「決して死んではならない」という隊長の言葉と行動に守られ、そのほとんどが生き延びた、という積徳高女の話を取り上げていました。この話を聞いて、熱いものがこみ上げてきた方も多かったと思います。教育者・指導者たるもの、どうかこの軍医さんのようであって欲しい、と願ってやみません。

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