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 お昼に対馬そばが食べたかったのですが、資料館見学に時間がかったので諦め。途中でパンと牛乳を買って、海神(かいじん)神社へと向かいました。対馬北部では道路わきに、「ツシマヤマネコ注意」の標識を良く見かけました。「アッ撮りたいな」と思う時には、後ろに車がいたり逆光だったりで中々チャンスがありません。どうしても1枚欲しかったのですが、南下するにつれ見かけなくなってきたので、「撮りそこなってしまったかな」とちょっと気落ちしていました。
神社近くにあった「ツシマヤマネコ注意!」の道路標識
神社近くにあった「ツシマヤマネコ注意!」の道路標識
 でも海神神社への道すがら、ありましたありました。ここは車も来ないし、光の具合も丁度良い。「ラッキー」です。皆さん、この看板を見かけたら周囲に注意して走行してくださいね!

 海神神社由緒:『神功皇后の旗八流を納めた所として八幡本宮と号し、対馬国一ノ宮と称された。明治4年に海神神社と改称した。神霊の鎮まる所を伊豆山と言い、千古斧を入れない天然記念物の原生林は今「野鳥の森」として指定されている』。

 ここは和多都美神社とは違いかなり立体的、と言うか社殿まで鬱蒼とした樹林の中の長い石段を登っていくのです。社殿は「海の神様のお住まい」と言うより、雰囲気は通常の八幡様。
豊玉媛命を主神として祭る、木坂海神神社
豊玉媛命を主神として祭る、木坂海神神社
 先ほど資料館でコピーしていただいた峰町誌を読むと、『海神を祭る社としては、和多都美神社(祭神:豊玉姫)と和多都美御子神社(祭神:豊玉姫の息子磯良)がある。木坂の海神神社は当初和多都美御子神社と称した古社が、平安時代中期以降に八幡宮となり、1870年(明治3年)に和多都美神社と改められ、翌年海神と定称された』とあります。

 海神=ワタツミ(倭語)=和多都美(万葉仮名)。かつては海神の御子磯良(別名ウガヤフキアエズノミコト:神武天皇の父)を祭った神域ですが、今はちょっと荒れていて境内を埋め尽くすツワブキの黄色ばかりが目立ちます。神社と言うより「野鳥の森」としての案内板のほうが自己主張している感じです。

住所対馬市峰町大字木坂
(Googleによるこの住所の地図)
(Googleによるこの住所の衛星写真)
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