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壱岐の御柱

 今日は11時半に対馬行きの船に乗る予定ですが、それまでの間レンタカーで島内を見て回ることにしました。「どこに行こうか?」と地図を開いたら、”御柱”と言う文字に気づきました。「壱岐にも御柱祭が?」とフロントで聞いてみると、

 「曽良の墓がこちらにあるので友好都市の諏訪市から贈られたんです」とのこと。曽良って、芭蕉と一緒に『奥の細道』を歩いたあの曽良ですよね。でも何故彼がこの島に来たんでしょう?
諏訪市から贈られた、平成10年上社の御柱
諏訪市から贈られた、平成10年上社の御柱
 勝本町の城山公園へ行ってみると見慣れた御柱が建ち、傍らの説明版には『諏訪市に生まれ壱岐で客死した曽良翁終焉の地に御柱を贈る』とあります。

 『この巨木は、平成10年(1998年)の御柱大祭で諏訪大社上社本宮に建てられたご神木である。平成16年の大祭をもってその役目を終えたのを機に諏訪市が譲り受け、曽良翁終焉の地である友好都市壱岐に贈った』のだそうです。1998年の御柱祭には行っていますし、上社の本宮だったら私達が(?)曳いた御柱かもしれません。まさか壱岐で対面できるとは・・・・、懐かしいですね。

 この説明文では何故曽良が壱岐に来ることになったのか良くわからず、近くにあると言う彼の墓まで言ってきました。墓の横には「勝本と曽良」と言う説明板があり、彼の生い立ちから町との関係まで、細かい字でぎっしりと書かれています。ちょっと長いので、下に簡単にまとめておきますね。
河合曽良の墓
河合曽良の墓
1649年、信州上諏訪に生まれる。
1682年ごろ、芭蕉の門下に入る。
1689年、曽良41歳の時芭蕉の『奥の細道』に同行。
1694年、芭蕉没。
1710年、巡見使(諸国に派遣して、藩政を監察させた不定期の役人)の供として壱岐に上陸。勝本で病気のため死去。享年62。

住所勝本町坂本触
(Googleによるこの住所の地図)
(Googleによるこの住所の衛星写真)

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