最初に発掘された時には、魏志倭人伝に記された「邪馬台国では?」、と九州説論者が発言力を強めた吉野ヶ里遺跡。1999年、7年ぶりに来てみますとその周辺は、「道を間違えて工事現場に入ってきたのかしら?」とケゲンに思うほどの変わりよう。聞けば、『遺跡の保存と活用・レクリェーション環境の整備・地域振興の一翼を担う、等など』、7つの基本方針を柱にした、”国営吉野ヶ里歴史公園”整備工事の真っ最中なのだとか。 |
 物見やぐらのある”環濠集落ゾーン” : 吉野ヶ里遺跡
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数年後には物見やぐらのある”環濠集落ゾーン”を中心に、『野営場・博物館・宿泊施設にレストランを備えた、総面積54ヘクタールの大公園(全国で5番目の国営公園)』になるんだそうです。4つに色分けされた「吉野ヶ里ゾーニング計画図」なるものを見ていると、何とはなく「切ない」。どうかあまり”つくり”すぎないで下さい。
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と、このページを編集してから早6年。2005年10月、『吉野ヶ里遺跡は平成13年(2001年)4月に、「吉野ヶ里歴史公園」として開園しています。』と佐賀県教育庁文化課 吉野ヶ里遺跡担当者Nさんからメールをいただきました。早速歴史公園の公式サイト情報を追加いたしましたのでお知らせします。ご連絡ありがとうございました!
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