可部屋集成館

 ”鉄の道”探訪3日目。美しい夕焼け空とは裏腹に、シトシト雨の肌寒い朝になってしまいました。昨日来た道を仁多町まで戻り、432号線を庄原方面へと向かいます。宿舎(奥出雲多根自然博物館)を出てから約30分、吉田村への道を分け、たたら角炉伝承館の横を通り過ぎると間もなく、左手に櫻井家の歴史資料館”可部屋集成館入り口”の標識が出てきました。
櫻井家の歴史資料館、可部屋集成館
櫻井家の歴史資料館、可部屋集成館
櫻井家: 『戦国武将「塙團右衛門」の討死後、母方の姓「櫻井」を名乗った嫡男直胤は、広島郊外の「可部郷」で鉄山業を営んだ。第3世(約350年前)の時この地に移り、「可部屋」と号して”菊一印”の銘鉄を創り出した。その業績は松江藩に認められ、第5世は「鉄師頭取」を拝し、地域内の鉄山業を取り仕切った。 − 可部屋集成館パンフレットより抜粋 − 』

 たたら資料として道具類や製鉄法を展示していた絲原資料館とは異なり、ここでは任命書や御用札など、松江藩の鉄山政策を示す文書類が並べられています。鉄山経営以外の資料としては、武将だった始祖を偲ばせる”士分格”の日用品やお道具類・美術工芸品などが、コーナー別にゆったりと展示されていました。

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