ユムブ・ラカン

 『チベットはかつて海の底。水がひいた荒野の洞窟に、観音菩薩の化身”猿”が瞑想のため住むようになった。そこへ”羅刹女(人食い鬼)”がやってきて、「前世からの因縁がある」と結婚を迫った。

 「断れば多くの人を殺す」と脅された”猿”は結婚を承諾。2人の間に生まれた6匹の子猿達は、成長するにつれ尾や体毛がなくなり、やがて人間(チベット人の先祖)となる。 彼らの子孫は瞬く間に地に満ちて、BC2世紀にこの地を支配するようになった』。

 チベット初代の王、ニャティ・ツァンポがユムブ・ラカン宮殿を築いた紀元前127年が、チベット歴の元年となります。

チベット最古の建造物ユムブ・ラカン
チベット最古の建造物ユムブ・ラカン
文化大革命で破壊され、現宮は1983年の再建
 岩山の上にスックと建つ、姿はとても美しいのですが、ラサより標高が低いと言ってもここは富士山の8合目クラス。軟弱な我が身には、この登りがこたえます。つい最後尾になり雄弁なガイドさんの説明も、追いついた頃には終わっている、という始末。

 残っているのは印象的な「これは”メス鹿の後脚の上に建つ”という意味です」のフレーズだけ。それって岩山の名前なのかしら、それともユムブ・ラカンのこと?

 紀元前127年と言うと、中国では漢の武帝が匈奴対策に頭を悩ませていた頃で、そのお隣の日本では、まだ弥生時代。『奴国王朝貢、金印を賜う」と、初めて中国の歴史書に倭(日本)の名が現れるのは、これより200年ほど後のことになります。

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