台湾の温泉開発

 大浴場エリアの一角に「世界の温泉とその開発」と題した展示コーナーがあります。「台湾の温泉開発」の説明には『温泉好きな日本人は統治時代(1895−1945年)、温泉資源を求めて台湾中を調査し20の温泉を発見、軍人・警察官の療養所などとして開発した』とありました。

 それを一覧表にしたのがこの1枚、「日治時代的台湾主要温泉」です。年号の入っていない温泉もありますが、この表を元に今回訪問した温泉地を並べてみることにします。

日本統治時代に発見・開発された台湾の主要温泉
日本統治時代に発見・開発された台湾の主要温泉
北投温泉:1896年(明治29年)、大阪商人平田源吾が最初の温泉旅館「天狗庵」を開店。
安通温泉:1896年(明治29年)、陸軍測量隊が発見。(表では1919年だが安通温泉で見た資料を採用)
四重渓温泉:1898年(明治31年)、軍将校らの温泉招待宿(通称山口旅館)できる。1939年(昭和5年)、昭和天皇の弟高松宮御夫妻が新婚旅行に訪れた。
關子嶺温泉:1898年(明治31年)、日本陸軍により発見される。
瑞穂温泉:1919年(大正8年)、温泉施設「滴翠閣」が建てられた。
知本温泉:原住民プユマ族が発見、日治時代に軍警察療養所が建てられた。

 「台湾四大名湯」と謳われたのは上表20の内、四重渓、關子嶺、知本、陽明山の四つの温泉で、太字はそれを示しています。今回入れなかった陽明山温泉は、次回のお楽しみにしておきます。


ローマ式大浴場
ローマ式大浴場
 一階の中央を占めるのは、9mx6mのローマ風大浴場です。浴場を囲うアーチ型開口部を持つ回廊、湖に泳ぐ白鳥を描いた美しいステンドグラスと、豪華な造りになっています。浴室内は薄暗いのですが、カラフルなステンドグラスから差し込む光が、より華麗に空間を演出していました。
大浴場の回廊にあるステンドグラス
大浴場の回廊にあるステンドグラス
 洋風の雰囲気の漂う中、回廊突き当りに富士山のステンドグラスがあったのは印象的でした。公共浴場に付き物の富士山って「ここがルーツなのかしら?」とふと思ってしまいました。銭湯の絵がいつごろから描かれるようになり何故富士山が好まれたのか、もしくは西日本と東日本では絵の好みに違いはあったかなど、銭湯絵の歴史を調べても面白いかもしれませんね。
こちらが女性風呂、背景に北投小唄の一節
こちらが女性風呂、背景に北投小唄の一節
 それはさておき、営業当時この大浴場は男性客専用。ちなみに女性用の浴室はこちら、北投石が展示されていた部屋のお隣です。格段の広さの差はちょっとシャクではありますが、最近は女性湯の方がゴージャスなホテル・入浴施設が増えていることでもありここは我慢しておきましょう。

 HPのためにこの画像を処理していて、ヘッドフォンが置かれた浴槽の背景に「♪北投小唄」と書かれているのに気づきました。拡大してみたのですが、歌詞部分は隠れていて読めません。多分「中国語の解説だろう」とこのコーナーはパスしてしまったのですが、もしかしたら「♪北投小唄」が流れていたのかも。子供たちに混じって聞いてくれば良かったですね。残念なことをしました。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です