瑞穂温泉山荘

 台北から3時間、満員だった車内ですが花蓮駅で多くの人が降りてゆきました。空席が増えたので窓際の席に移り「今はどの辺りを走っているのかな?」と例の地図を広げてみると、玉里の手前に瑞穂と言う地名があることがわかりました。

 確かここにも温泉があったはずです。予定より2時間早い列車に乗ることになったのも天の配剤と、瑞穂駅で途中下車してみる事にしました。

玄関前の側溝に温泉水が溢れる、瑞穂温泉山荘
玄関前の側溝に温泉水が溢れる、瑞穂温泉山荘
 瑞穂駅に着いたのは10時40分。改札で「途中下車だからこの切符で玉里まで行きたい」と交渉してみたのですが素っ気なく「ノー」。台北からの切符は取られてしまいました。仕方なく窓口で「玉里までいくら?」と聞くと「30元」とのこと。アラマア安いこと。この値段なら必死で交渉することもなかったですね。


 瑞穂温泉まで駅前からタクシーに乗りました。駅から西へ緩やかな一本道をしばらく行くと、車は急カーブを曲がり急坂を登っていきます。これから山道に入るのかと思いきや、そこがもう温泉の玄関でした。ここまで意外と近くて10分ほど、料金は175元でした。

 帰りは運転手さんに手渡された番号に電話して貰って同じ車で戻りましたが、駅前の標識で確認しましたら「瑞穂温泉3.2km」となっていました。駅までは下り坂だったし、この距離なら歩いても良いかもしれませんね。

温泉の歴史が書かれた石碑
温泉の歴史が書かれた石碑
 玄関横にあった石碑の漢字を拾ってみると『日本統治下(*2)の1919年(民国(*3)8年)日本人の手により開発され、滴翠閣と言う公衆浴場が建てられた。、鉄分を豊富に含む台湾唯一の炭酸塩泉で泉温は48度。その成分により空気に触れるとお湯は茶褐色に変色する。』と書かれているようです。

 館内の案内には『お湯は肌の美白と角質除去の働きがあり、保湿効果も高い。その成分により「温泉の中の温泉」と言われている』とありました。又露天風呂には『新婚夫妻が入浴すれば子宝に恵まれる』とも書かれていました。新婚旅行に台湾を計画されている方、どうぞ効果を試しに来て下さい。


(*2)日冶時代:日本統治時代。日清戦争終結後の1895年(光緒21年、明治28年)から第二次世界大戦終結後の1945年(民国(*3)34年、昭和20年)まで、台湾は日本の統治下に置かれた。
(*3)民国:辛亥革命後の1912年、孫文を臨時大総統として中国大陸を代表する国家として成立。孫文死後の1928年、蒋介石が主席となるが中国共産党に敗れ1949年台北に遷都。以後台湾では民国暦を使用、西暦2011年が民国100年。

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