中城(なかぐすく)城訪問

 修論を提出しほっと一息、年末年始を海外(?!)で過ごすべく沖縄の知人宅に来ています。先日は、2000年12月に「琉球王国の城および関連遺産群」の1つとして世界遺産に登録された中城(なかぐすく)城に行ってきました。ここにはボランティアガイドさんがいて、時間さえ許せば(所要1時間程度)城内を無料で案内してくれます。私の場合は一番客だったせいか、マンツーマンでみっちり解説してもらいました。

石組が美しい、中城(なかぐすく)城の三の郭と裏門
石組が美しい、中城(なかぐすく)城の三の郭と裏門

 過去に今帰仁城とか勝連城とか見てきましたが、ここの石垣の美しさは格別です。それは先の大戦で主戦場とならなかったこともあるらしく、野面(のずら)積み、布積み、あいかた積み(亀甲乱れ積み)と積み分けられた石垣は、ペリー提督が賞賛した当時の姿を今に残しています。

石垣を引き締めている隅頭(すみがしら)
石垣を引き締めている隅頭(すみがしら)

この石垣を引き締めているのが、上部四隅に設けられたこの隅頭(すみがしら)の存在です。ガイド氏によると「現代の技術で破壊された石垣を組みなおすことはできるが、隅頭が失われた部分は高さが割り出せないため復元は不可能」とのこと。それほど重要な隅頭、中城訪問の際はお見落としなく。

石垣に開けられた穴は?日本軍が作りかけた防空壕の址
石垣に開けられた穴は?日本軍が作りかけた防空壕の址

 南郭近くの石垣下部に開けられた穴、これは日本軍が防空壕にしようと掘りかけたもの。沖縄の石垣は(下の解説文にもあるように)全てが石で組まれた数層構造の堅固なもので、流石の日本軍もこれは無理と途中で諦めた跡だそうです。近づけば内部の様子も見ることができますよ。

石垣の説明
石垣の説明

 戦前生まれのガイド氏は解説の合間に「本土の人は沖縄のこと知らされていないからね」と多少の嫌味を込め、薩摩侵攻、廃藩置県時の琉球処分、近代化政策の中での沖縄処分のことなど話してくれました。

 沖縄処分とは聞きなれない言葉でしたが、その内容には「沖縄言葉を使ってはならない」と同化政策のような部分もあったそうで、「私の子供のころ沖縄言葉を話すと罰則の札を首から下げられ、友達からも話しかけられず辛い思いをした」と聞かされショックを受けました。米軍基地問題で今も迷惑をかけ続けている沖縄のことを、内地の人間はもう少し知らないといけないと痛感した中城訪問でした。

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