北見峠

 白滝からしばらく走ると、333号線は峠道に差し掛かります。登りきった北見峠で、この慰霊碑の存在に気づきました。近寄って碑文を読むと、中央道路開削経過、とあります。文面が”北海道開拓の闇”と言うようなショッキングな内容だったので、皆さんにも知っておいていただきたいと思いました。以下、碑文の要約です。
中央道路犠牲者の慰霊碑
中央道路犠牲者の慰霊碑
中央道路開削経過 : 中央道路は網走に起こり、留辺蕊(ルベシベ)・野上を経てこの北見峠を越え、上川・愛別・旭川に至る全長225.402kmの殖民道路で、拓殖と北辺防衛上極めて重要とされて開削されました。

 この道路は網走から北見峠までの大半が、釧路から網走監獄に移された、1,000余名の囚人を使役して開削されたものであり、明治24年春の着工以来わずか7ヶ月、同年11月にはこの網走から北見峠まで156キロの道路が完成と、その速さは驚異的なものでありました。

 従って作業内容は酷使につぐ酷使、不眠不休の労役が続けられ、特に惨を極めた野上(遠軽町)・北見峠の間は、過度の労役と病にたおれた死者は180余名にも及び、死者は路傍に埋葬されましたが墓標は風雪に消え去り、今になっては埋葬場所はほとんど不明になりました。

 ここに殉難者慰霊の碑を建立し、この道路建設の礎となった囚徒の霊の、安らかな眠りを念ずるものであります。


 一言に”囚人”と言っても、中には無実に近い人々も含まれていたと聞きます。「北海道の道路は車が少なくて快適」、としか思っていなかった道路でしたが、こんなにも多くの犠牲の上に敷かれていたんですね。ここに謹んで、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

4日目 : サロマ湖温泉~竜宮台~白滝~比布温泉(泊)。走行距離は195km。

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