桜地人会

 駐車場に戻る途中で可愛い標識を見かけ、(どうして先ほどは気づかなかったのでしょう)せっかくだからと標識の示す「桜地人館」に寄ってみる事にしました。開館直後ということもあって見学者は私一人。展示品を見ていましたら館長さんが来て、「時間があるならお茶でも飲んでいきなさい」と声をかけてくれました。 エー、勿論お言葉に甘えましたとも。
可愛い道標
可愛い標識
 お茶をいただきながら、甘えついでに昨日来の疑問をぶつけてみますと

 「賢治は草野心平の紹介で、光太郎のアトリエを訪ねた事があるんです。原稿を持ってね。でもかたや大彫刻家、かたや無名の田舎青年ですから、光太郎の記憶にはあまり残らなかったようです。

 賢治の才能を認めたのはその没後で、1936年(昭和11年 光太郎53歳)に賢治の詩碑の揮毫をしています。宮澤家とはその頃からの付き合いではないでしょうか。」

 そのご縁で花巻の宮澤家を頼り、あの山荘暮らしとなった訳ですか。 「光太郎の風呂おけ」コーナーで予告しました、同心屋敷−賢治詩碑−桜地人館のラインが、これで無事繋がりました。賢治と光太郎との関係もわかったし、これで一件落着。メデタシ、メデタシ、です。

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