2008年02月09日

2008年02月09日 : 大阪・名古屋に大雪を降らせた低気圧が北上中ですが、今のところ我家の周辺は、雪と言うより霙(みぞれ)状の雨となっています。でも朝目が覚めたら「銀世界」かもしれませんね。10日は私立の大学や高校の入学試験が多いと聞きます。受験生の皆さんに影響が出ないようにと祈るばかりです。

 さて7日と8日の2日間、面接授業「日本天文学の歴史」がありました。古代人の宇宙観を聞けるのを楽しみに出かけたのですが、『近世に至るまで日本固有の天文学的発見・成果はほとんどなく、海外から入る知識を理解し受容するだけ。日本人が自分の頭で考え、独自の天文学を発展させ始めたのは17世紀も後半になってから』と聞き、ちょっと寂しい気がしました。

2放送大学、後期最後の面接授業は「日本の天文学の歴史」
2放送大学、後期最後の面接授業は「日本の天文学の歴史」
 とは言え、「天岩戸伝説の日食は何時だったのか」、「名月記に記述された客星(新星)とは」、「南蛮人と紅毛人は違う」、「視力1は角度1分の差を見分ける能力」、「関が原合戦にも占星術者が従軍していた」など、色々と興味深い話も聞けて楽しい2日間でした。

 最後に書かされたレポートのテーマは、「何故日本で天文学が発展しなかったのか」。咄嗟に「中国の中華思想の影響の下、受容した儒教の内側からしか世界を見られなかったからでは」と書いたのですが、ゆっくり考えると「研究対象としてではなく、自分との連続性で自然をとらえる日本人の自然観からきていたのかも」と思えてきました。あなたはどう思います?


 最後は、先月中旬に訪問してきた韓国のお話。「扶余・新安沈船・チェジュ島」を目指して出かけ、それなりに満足はしたのですが、旅行中に気になっったのは全く別の項目。帰国後真っ先に(試験中にも関わらず)調べ出したのは、「武寧王・徐福・朝鮮通信使」でした。
釜山博物館の「朝鮮通信使」展示
釜山博物館の「朝鮮通信使」展示
 扶余の博物館で武寧王陵の話を聞き行って見たら、被葬者は日本と関わりの深い百済の王様だったこと。チェジュ島で思いもかけず、「徐市過此(徐福ここを通過す)」と言う徐福の到来伝説を知ったこと。最後の宿泊地となった釜山の博物館で、朝鮮通信士の展示を見たこと。などが好奇心をえらく刺激したのです。

 できるだけ史実に即してお伝えしたいと、今必死で参考文献(下記参照)を読み漁っております。ただ、武寧王の資料は少なくて調べるのに苦労し、反対に通信士の関連本は多種多様な物が出版されていて読むのが大変。特に朝鮮通信士の見方は、その立場(日本側か朝鮮側か)によっても見解が分かれ、どちらにせよまとめるには少し時間がかかりそうです。

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