2009年11月04日

2009年11月04日 : この1ヶ月間、卒業論文にかかりきりになっていました。ほぼ書き上げた状態で家族に見てもらいましたら、「一つの段落に異なる要素が入っている。前後の辻褄があっていない。これでは論文と言えない」とけちょんけちょん。提出まで後2週間もないのに、と真っ青になったのが先週はじめのことでした。そこで教えてもらったのが、Wordのアウトライン機能です。

 恐る恐る使ってみたら、確かに頭の整理には良いですね。「一つの段落に一つのアイデア」とお題目のように唱えながら、小見出しをつけて整理していきましたらあら不思議。何とか「おわりに」までたどり着くことができました。担当教授に見せたら「良くまとめましたね、今回は余り修正はありませんよ」と言われました。「ホッ」。

潮楼付近から見た弁天島:鞆の浦
潮楼付近から見た弁天島:鞆の浦
 ところで皆さん、今日のニュース番組を見ましたか?私が一番驚いたのは、「イコモス(国際記念物遺跡会議)のアローズ会長、鞆の浦視察」の報道でした。

 彼の言うように鞆の浦は、「過去と現在が見事につながった素晴らしい土地」です。埋め立てなどと言う野蛮な方法で道路を通さなくとも、他にも方法があるではないですか。自然は一度壊したら二度と元には戻せません。鞆の浦の歴史と自然は「国民全体の財産」でもあるのだと言うことを、広島県にも広島市にも理解していただきたいものです。


 最近は家路に飲みに行くこともなく、調査報告書と文献読みに明け暮れていました。どこにも出かけていないので今日の1枚は、昨年の秋に撮った文字摺観音の紅葉です。

 文字摺観音と言うと思い出すのが、「陸奥の 偲ぶもち摺 誰故に 乱れ染めにし 我ならなくに」の歌ですね。作者源融(みなもとのとおる)は、光源氏のモデルになったと言われている実在の貴公子です。彼が何故この歌を詠んだのか、境内にある文字摺石には、こんな伝説が残されています。

紅葉の文字摺観音、多宝塔:福島県
紅葉の文字摺観音、多宝塔:福島県
 源融が陸奥の国の按察使(あぜち:地方行政の監督官)としてこの地方に来た時、長者の娘虎女と懇ろになった。やがて彼は都に戻ったが、虎女には何の便りもない。嘆き悲しんだ彼女がふと傍らを見ると、「文字摺石」の表面に慕わしい融公の面影が浮かんで見えた。しかし駆け寄るとすぐにかき消えてしまった。やがて彼女は病の床につき、ちょうどその頃、都からこの歌が届けられた、と言うことです。

 文字摺観音の紅葉の見ごろは、今月の中旬から下旬だそうです。明日論文を提出したら、私もどこかに行きたいな。さあ紅葉狩にはどこが良いでしょう?「♪知らない町を歩いてみたい、どこか遠くに行きたい」。

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