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 夕張の町に一歩足を踏み入れるとあちらこちらに、「椿三十郎」「男はつらいよ」そして「狼よさらば」と、昔の映画看板が目を引き、まるで『昭和30年代』の地方都市にタイムスリップしたようです。一時は人口が11万人を超していたと言う炭都夕張の歴史を、石炭博物館でいただいた資料を元に、簡単に振り返ってみましょう。

1888年 道庁技師、坂市太郎が、大露頭の炭層(厚さ7mにも及ぶ)を発見
1890年 夕張鉱の採掘が開始される
1903年 追分〜夕張間に鉄道が敷かれる
1943年 北見市に続く北海道9番目の市として、夕張町から夕張市へ昇格
昔の映画看板が郷愁を誘う、ゆうばりキネマ街
昔の映画看板が郷愁を誘う、ゆうばりキネマ街
 人口が11万人を超え、出炭量も年産400万トンを突破するなどピークを向えた1960年代前後には、娯楽の中心だった映画も東京と同時に封切られ、大相撲の巡業や人気歌手の公演も頻繁にやってきました。大卒サラリーマンの初任給の10倍もしていたテレビもいち早く普及し、炭鉱住宅の屋根にはアンテナが林立していました。しかしその後、石炭から石油に転換させるエネルギー革命が進み、国内炭の地位は急激に低下、夕張でも炭鉱の整理統合など合理化が進みました。

1977年 「幸福の黄色いハンカチ」が封切られる
1982年 前年のガス事故を契機として北炭夕張新鉱が閉山
1990年 最後まで残った三菱南大夕張鉱が閉山し、ついに夕張から炭鉱の灯が消える

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